露とちる 涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出づれば・・・道真
露天神社(つゆのてんじんしゃ)
通称はお初天神
祭神は大己貴大神、少彦名大神、天照皇大神、豊受姫大神、菅原道真の五柱の神を祀る
社伝によれば、この地はかつて曾根崎洲という大阪湾に浮ぶ孤島であった
住吉住地曾根神と祀っていた
創建は大宝元年(701)頃とされ、「難波八十島祭」旧跡の一社とされている
社名は、「梅雨のころに神社の前の井戸から水がわき出たため」とも言われている
知人の名前を見かけた
近松門左衛門のいたころの天神の境内は560余坪の広さがあり、近松は当時の天神の様子を「影暗く風しんしんたる曽根崎の森」、「天神の森」と書き記すほど木が鬱蒼と茂っていた
しかし太平洋戦争による戦火と、その後の社殿復興のための境内の切り売りが行われた結果、現在の広さとなった
堂島新地の天満屋の遊女「お初」と内本町平野屋の手代「徳兵衛」が「天神の森(現在の社の裏手)」にて心中を遂げた
曽根崎心中の中では「三十三に御身を変へ、色で導き情けで教へ、恋を菩提の橋となし、渡して観世音、誓ひは妙に有難し」とお妙の名と観音信仰をかけている
なお「お初」は天満屋での呼び名であり、墓所(慰霊碑)に記された久成寺(大阪市中央区)での戒名は妙力信女であることから「お妙」などが推測される
大阪之古圖では曽根崎、福島、海老江、中ノ島、難波は島であった