兄の趣味人倶楽部「雲雀弟子」に掲載したブログ記事です

 

実家のある山間部集落では、市道の開削が始まり車で家の前まで行けたこと。ようやく復興の足がかかりとなる寝泊りができる。

これも悲痛な旗振りや地域見守りのために元旦から住み続ける市議がいたからだ。
市議はゴールデンウィークまでに国道249号線の開削も、仮設住宅100戸完成に向けての地域上水道の整備も、地域全戸のブルーシート張りも指揮している。


富山、岡山ナンバーのダンプカー各10数台がはいり、仮設事業者は熊本から、私が2年後に譲り受ける仮設住宅は北海道の事業者であり、凄い政府の支援力にある。

ただ、県対策本部や県内市町村の協調連携がなく国任せにあり稼働性が悪く遅々として、とても祝祭日の突貫工事なども期待できません。

山間部集落の実家へは、輪島市内から国道通行15分だが、迂回をして1時間半。水道も電気もなく寝泊り住人は私たち兄弟が初めてのこと。

集落内の道路も山もいたるところで段差60cm程度を散見して、メイン路の出入り口も大規模崩落で塞がったままにある。

家の罹災証明は準半壊、公費補償の観点として南面の柱7本すべてが床の高さで折れており判定の見直しを求めている。なお、車庫・作業屋は半壊で公費解体対象。

 サバイバルの3泊は、台所や土間の板張りはリホームされており、散乱をかたずければ、食事や寝所を確保できること、外壁の折れた柱箇所を補強して居住性確保、ご先祖供養の仏壇の屋内移設、また倒木や落木等の燃やせるゴミを3日間で野焼き、裏山の墓地体裁の準備などをしている。

食器などの洗いは、帰阪当日の朝に区長宅の湧き水場で行っている。