盤代の浜松が枝を引きむすび真幸くあらば還り見む・・・有間皇子
三鍋王子跡
ここで7名がエスケープ
『中右記』10月12日条に南陪山の麓にある王子社で奉幣をしたとの記事があるほか、「熊野道之間愚記」に「三鍋王子」との記述が見られる
1877年(明治10年)に、千里王子と同じく須賀神社に合祀された鎌倉時代以降に移されたものである
須賀神社はさらに 1909年に鹿島神社を合祀して鹿島神社に改称している
鹿島神社の社殿は王子社の旧社殿を移築したものであるという
境内には小栗判官ゆかりの小栗井戸が遺されており、また数多くある巨石の大半は板状卒塔婆で、三鍋王子の神宮寺であった安養寺から移されたものである
浄土真宗「勝専寺」
R42から南部湾
南部川
種類ある梅干しの試食も出来るようですが、時間制限がありパス