出立王子跡 由来
元、若一王子社とも云う
紀伊続風土記に若一王子社村の氏神なり、御幸記に出立王子とあるのは当社なり、古は拝殿、回廊等ありとも天正の兵乱に悉く破損せしも後復興すると伝え云う
崇峻天皇元年御勧請なりと月読尊を祭祀し、出立王子と称し、明治6年5月、出立神社と改め村社に列せんが、同40年2月1日、八立稲神社に合祀せられて廃社となり、今は「出立神社跡」の1基の石碑を残すにすぎず 
かかる由緒ある所なれば、永く保存すべきと認む依って、大正14年7月17日、和歌山県文化財に指定、引き続き、昭和33年4月1日再指定を受く
田辺王子ともいわれ、平安時代後期の貴族、藤原宗忠(ふじわらのむねただ)の日記『中右記(ちゅうゆうき)』に「田之部(たのべ)に行き王子社に奉幣」とあり、鎌倉時代の貴族、藤原頼資(ふじわらのすけのり)の『修明門院熊野御幸記』には「田部王子に参る」にあります
これまで海岸筋の道でしたが、出立王子より山中の道である中辺路に入ります
熊野への新たな出立という意味合いで出立王子と呼んだのだと思われます
出立王子の鎮座地は特定できませんが、龍泉寺のすぐそばの田辺第三小学校に向かう坂道の途中に小祠が祀られています
出立王子前方の浜では潮垢離が行われました
熊野詣での巡礼者は田辺市江川の浜で「潮垢離」をして身を清め、山岳路の中辺路ルートに進みました
早春の陽光を受けながら弁当を広げました)^o^(
この故事にちなみ、扇ケ浜海水浴場に「潮垢離場」が設けられています
海水で手を洗い、身を清めます
扇ケ浜からは、美しい夕日を見ることができます










