南方 熊楠(みなかた くまぐす、1867)5月18日(慶応3年4月) -1941年(昭和16)、博物学者・生物学者・民俗学者

生物学者としては粘菌の研究で知られているが、キノコ、藻類、コケ、シダなどの研究で知られる

高等植物や昆虫、小動物の採集も行なっていた

1929年には昭和天皇に進講し、粘菌標品110種類を進献している

フランス語、イタリア語、ドイツ語、ラテン語、英語、スペイン語に長けていた他、漢文の読解力も高く、古今東西の文献を渉猟した

言動や性格が奇抜で人並み外れたものであるため、後世に数々の逸話を残している

柳田国男から「日本人の可能性の極限」と称され、「知の巨人」との評価もある

和歌山市に生まれ、東京での学生生活の後に渡米

さらにイギリスに渡って大英博物館で研究を進めた

多くの論文を著し、国内外で大学者として名を知られたが、生涯を在野で過ごした

博物学、民俗学、人類学、植物学、生態学など様々な分野に及んでおり、その学風は、一つの分野に関連性のある全ての学問を知ろうとする膨大なものであり

書斎や那智山中に籠っていそしんだ研究からは、曼荼羅にもなぞらえられる知識の網が生まれた

1893年(明治25年)のイギリス滞在時に、科学雑誌『ネイチャー』誌上での星座に関する質問に答えた「東洋の星座」を発表した

また大英博物館の閲覧室において「ロンドン抜書」と呼ばれる9言語の書籍の筆写からなるノートを作成し、人類学や考古学、宗教学、セクソロジーなどを独学した

生涯で『ネイチャー』誌に51本の論文が掲載されており、これは現在に至るまで単著での掲載本数の歴代最高記録となっている

語学には極めて堪能で、十数言語(ときに、二十数言語)解したと言われる

白浜にある南方熊楠記念館でその生涯と業績をわかりやすく、貴重な資料とともに展示しています( ..)φメモメモ

※20年ほど前になりますが住職と熊野古道を歩きました<m(__)m>