参道の早咲桜
真言宗御室派「高山寺」
石垣が凄い
寺伝によると推古天皇の時代に、熊野国牟婁郡に住んでいた牟婁の長者と呼ばれる金持ちが飛鳥に出かけ、そこで摂政をしていた上宮太子(聖徳太子)に感動し、太子の御意を得て私財をもって当地南面山に勧修問寺を建立した
多宝塔
弘仁7年(816)初夏、弘法大師空海が熊野巡錫の途中にこの地に立ち寄った
その際、この地で密教の法を修し、また旅に出ようとしたところ人々に引き留められ、空海は自らの像を彫ってここに安置した
戦国時代の天正13年(1585)、羽柴秀吉による紀州征伐を受けて伽藍は全焼
しかし、上宮太子像と弘法大師像は伊作田の岩窟に匿って無事であった
しばらくしてから高野山の僧である空増が入寺し、伽藍を復興する
これによって空増は中興開山第一世法印空増上人と呼ばれるようになるが、以後もこれに倣って高山寺の主管職は第何世法印と呼ばれるようになった
江戸時代になって名称が興山寺になるが、更に現在の高山寺と変更された
田辺市の偉人・南方熊楠や植芝盛平の墓がある











