開創1200年、生國魂神社宝塔院「地蔵院」再興

弘仁年間(810~824)に藤原冬嗣の発願により、甥(おい)の、任瑞上人を開基とする

藤原家の安泰を願い建立された

藤原家を治める寺で、藤冶寺と称していたが、明治初年には、生玉十坊の一つである地蔵院を合併し、藤次寺と改称し、現在に至る

藤原氏の祈願寺として、藤原氏一門より、深い帰依を受け栄えた

慶長年間(1596~1615)に、加藤清正が大檀主となり、金堂、伽藍、堂宇などを建立、広大な寺域(境内)を持ち、壮観であったという

中興憲遵阿闍梨の時には、如意宝珠融通尊への信仰が盛んになり、「大阪の融通さん」と称されて、多くの人々の信仰を集めた

中興清範和上の時、九条尚実が家運長久を祈るため永代不易の祈願寺として改めて、旨辞を授けた

江戸時代末まで、九条家(五摂家の一つ。藤原兼実が祖。)の祈願寺であった

昭和20年3月、戦災により藤次寺は全焼した

日本最大木彫「地蔵大仏」

都市計画のために境内地の移転、昭和35年に金堂、庫裡、寺務所が完成した

藤次寺の塀の前(山門近く)に、如意山 藤次寺、融通さんまいりと記された石碑がある

谷町9丁目交差点