14.6kmの鞍月用水

名前の由来は、鎌倉時代から室町時代に存在した鞍月庄にもとづいている

藩政初期の正保年間(1644〜48年)に改修されたという記録が残っているが、いつ頃から流れているのかは定かではない

水力を利用して菜種油を採る目的や灌漑用に造られたらしいが、当初は水量も少なかったため、犀川に堰(油瀬木の名が残る)を設け水量を豊富にしたと伝えられている

その後、一部区間は金沢城の外堀(西外惣構堀)に利用された

明治に入ると、油車町周辺では油絞りに代わり、精米・製粉用の水車が増加

昭和初期までその姿が多数見られたという

護方山専光寺

千代女のお墓があります

元応2年(1320年)に親鸞の曾孫覚如に帰依した志念が、大額に一庵を設けたのが始まりとされる真宗大谷派の寺院

加賀藩初代藩主前田利長から庇護され、加賀、越中、能登の総禄所に定められ、136ヶ寺の触頭として広く信仰されました

石山合戦をめぐって本願寺が東と西に分かれた時に、専光寺は教如の娘小姫(宣妙尼)を迎え、加賀、能登の中心となって大いに勢力を伸ばしました

現在の本堂は、大火の後に大正時代に再建されたもので、以前の東別院を模して造られたといいます

専光寺は加越能の総禄所として一宗を薫事し、触頭として136ヶ寺の触下を有しました

太鼓門

金沢駅に着くころには陽が落ちるところでした

傘を差しだすイメージでおもてなしの心を表したガラスドーム「もてなしドーム」