お堀通りに架かる鼠多門橋

2020年、明治期に失われて以来約140年ぶりに復元整備された

鉢巻き石垣

鼠多門は、海鼠壁の目地が黒漆喰(くろじっくい)で仕上げられており、他の門には見られない特徴となっている

鼠多門は、金沢城の西側の郭である玉泉院丸に位置し、木橋(鼠多門橋)により接続される金谷出丸(現在の尾山神社境内)からの出入口 

大扉の上に櫓が作られる櫓門形式の城門で、創建年代は明らかになっていませんが、江戸時代前期には既に存在していたことが絵図等から判明しております

城内の多くの建物が失われた宝暦9年(1759)の大火でも焼失を免れ、修理等を経ながら明治期まで存在していました 

色紙短冊積み石垣

城内の他の門と同じく、屋根は木型を鉛板で覆う鉛瓦、外壁は白漆喰塗りで腰壁は海鼠壁が用いられますが、海鼠壁の目地が黒漆喰で仕上げられることが、城内の他の門には見られない特徴です 

鼠多門橋は、玉泉院丸と金谷出丸を隔てる水堀に架かる城内最大規模の木橋で、幾度かの架け替えを経て明治期まで存在していました 

明治10年(1877)に鼠多門橋が老朽化のため撤去され、明治17年(1884)には鼠多門も火災により焼失、周囲の水堀も埋め立てられ面影は失われていました

玉泉院丸庭園

雪吊がきれい

池泉回遊式庭園