尾山神社「神苑」
明治6年3月、政府より神社創立許可が出て、同月14日に創建し、社号を尾山神社とした
明治4年7月、卯辰山三社の一つである卯辰山天神社(卯辰神邪社、卯辰山天満宮)に一時的に遷座していた神像を尾山神社に遷座した
11月16日にはときの県令内田政風を始めとする官吏が参列して、卯辰八幡社より神霊遷座が行われた
当初、社格は郷社に列格され、翌年に県社に昇格
この11月には前田家当主前田斉泰の子少教正・大聖寺藩知事前田利鬯(としか)が説教を行っている
明治8年11月に特徴的な神門が造立されることとなった
この神門は長谷川準也・大塚志良により計画され、長谷川家出入りの大工・津田吉之助によって建てられた
明治12年7月には前田利長・前田利常が相殿に祀られる
同年9月には歴代藩主を祀る境内摂社として金谷神社が創建された
神苑は、尾山神社が建設される前にこの地にあった金谷御殿の庭に手を加えて今に至る
別名は「楽器の庭」
琴をモチーフにした琴橋や琵琶をイメージした琵琶島などおもに日本の雅楽で使われる楽器や楽器を演奏するための衣装などをモチーフにした橋や島から成り立つ