明治20年4月設立「旧制第四高等学校」

略称は四高

1886年の帝国大学令により、全国を五つの区に分割しそれぞれに高等中学校を設置することが定められた

このうち新潟・富山・石川・福井の北陸4県からなる「第四区」では、金沢に石川県専門学校(その前身は加賀藩の藩校明倫堂および維新後に設立された金沢中学校)を母体とする高等中学校が置かれることとなった

東京の旧制一高、京都の三高に次いで第四高等中学校の設立となった(開校に際し旧藩主前田家が7万8千円を寄附した

校風は『超然時習』『至誠自治』

時を得て学び何事にも動じない心を養い、自立して誠を尽くす精神

校風は四稜の北極星(北辰ともいう)

北の都に秋たけて われら二十の夢数ふ
男女の棲む國に  二八に帰るすべもなし

そのすべなきを謎ならで 盃捨てゝ歎かんや
酔へる心の吾れ若し 吾永久に緑なる

啻に血を盛る瓶ならば 五尺の男児要なきも
高打つ心臓の陣太鼓 霊の響を伝へつゝ
不滅の真理戦闘に 進めと鳴るを如何にせん

井上靖 流星

高等学校の学生ころ、日本海の砂丘の上で、ひとりマン
トに身を包み、仰向けに横たわって、星の流れるのを見
たことがある。十一月の凍った星座から、一条の青光を
ひらめかし忽焉とかき消えたその星の孤独な所行ほど、
強く私の青春の魂をゆり動かしたものはなかった。私は
いつまでも砂丘の上に横たわっていた。自分こそ、やが
て落ちてくるその星を己が額に受けとめる、地上における

ただ一人の人間であることを、私はいささかも疑わなかった。

それから今日までに十数年の歳月がたった。今宵、この
国の多根なる青春の亡骸──鉄屑と瓦礫の荒涼たる都会
の風景の上に、長く尾をひいて疾走する一個の星をみた。
眼をとじ煉瓦を枕にしている私の額には、もはや何もの
も落ちてこようとは思われなかつた。その一瞬の小さい
祭典の無縁さ。戦乱荒亡の中に喪失した己が青春に似て、
その星の行方は知るべくもない。ただ、いつまでも私の
瞼から消えないものは、ひとり恒星群から脱落し、天体
を落下する星というものの終焉のおどろくベき清潔さだ
けであった。

澄賢が自著『般若理趣経俗詮』の書き出しに「欲触愛慢破戒無懺の旦夕に身をゆだね来りけり」と自らを記し、身ひとつで「長い空寂の谷の道」の果てに踏み込んで行った先は、流星の消えゆく宇宙の空寂に他ならない