八景亭 大名庭園 数寄屋造り
七代藩主直惟の代になって、享保三年(1718年)倹約の趣旨により、園中玄関と台所などを取り払い縮小したが、文化十年(1813年)十一代藩主直中が隠居するに際し、新館を増築して移り住み、槻御殿と称した。
十二代直亮、十三代直弼も数寄屋を増設し、二階建てを築いた
これらの殿舎の東にみられる数寄屋を囲む広い庭が「槻のお庭」と呼ばれる今の玄宮園で、数寄屋造りの亭屋が八景亭である
八景亭は明治初年(1868年)、彦根の紙質商、富商の安居喜八が幕府より払い下げを受けたが、同十九年(1896年)、再び井伊家が買い戻し、井伊家の所有のもとで料理旅館業に使用させた
明治三十年(1897年)、楽々園八景亭の営業をまかされていた、楽々園八景亭取締役阿知波勘次郎(湖東地方の富豪)らの申し入れにより、町が引き受けることになり、同三十二年(1899年)から町が一括して管理することになった
昭和九年(1934年)から料理旅館として、今の営業者が営業を行なっている
かつては琵琶湖の“松原内湖”が庭園のすぐ北側まで広がっていた水が豊かな場所で、それを活かした大規模な池泉回遊式庭園
いわゆる“大名庭園”と呼ばれる江戸時代の大庭園、東京都内(23区内)では比較的身近な存在だけれど関西では意外と少ない貴重な存在
近江八景を表現した庭園とされていて、その池泉は琵琶湖を、池の中に築かれた中島は竹生島を表したものも
園路はところどころ起伏があって、景色の移り変わりを楽しみつつ、他ではあまり観られない・稀有な天守閣の池へのリフレクションも
西入口
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