彦根城 二代目直継 入城す

1606年(慶長11年)2期までの工事が完了し、同年の天守完成と同じ頃に直継が入城

大阪夏の陣で豊臣氏滅亡後、1616年(元和2年)彦根藩により第3期工事が開始され、御殿が建造された

1622年(元和8年)、すべての工事が完了し、彦根城が完成した

その後も井伊氏は加増を重ね、1633年(寛永10年)には徳川幕府下の譜代大名の中では最高となる35万石を得るに至った

彦根城を築くにあたり、大津城、佐和山城はじめ近江国の諸城を移転や破却し、城の建設物に利用したとされる

結果として彦根藩には彦根城しか残らず、大老も出す譜代筆頭の井伊氏が諸大名に一国一城令を守る手本を示した格好になった

筆頭家老・木俣家は1万石を領していたが、陣屋を持たなかったため、月間20日は西の丸三重櫓で執務を行っていた

徳川統治下の太平の世においては、城郭は軍事施設としての意義を失い、彦根城も西国大名の抑えのための江戸幕府の重要な軍事拠点から、藩政や年貢米の保管の場所となり、天守や櫓は倉庫等として使われた

1854年(安政元年)に天秤櫓の大修理が行われ、その際、石垣の半分が積み直された

向かって右手が築城当初からの「牛蒡積み」、左手が新たに積み直された「落し積み」の石垣である

長坂

大阪府交野市から見えられたという88歳の女性

2024.1.25撮影