直政が 磯山に築く 彦根城
関ヶ原の戦後、徳川家康の命により井伊直継と直孝が20年の歳月をかけ1622(元和8)年ごろに完成させた
旧鈴木屋敷長屋門は、彦根城の中堀に面した第三郭に建っています
かつて当地一帯は300石以上の中級武家屋敷が広がっていました
城内には国宝の天守をはじめ、太鼓門櫓、天秤櫓、西の丸三重櫓など重要文化財が数多く残る
とくに入母屋の屋根に唐破風を設けた三層三階の天守は必見
京橋・中堀
徳川四天王の一人・井伊直政は、1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの後、その軍功により18万石にて近江国北東部に封ぜられ、西軍指揮官・石田三成の居城であった佐和山城に入城した
佐和山城は「三成に過ぎたるものが二つあり、島の左近に佐和山の城」と言われるほどの名城であった
直政は、中世的な古い縄張りや三成の居城であったことを嫌ったという
このため琵琶湖岸に近い磯山(現在の米原市磯)に居城を移すことを計画していたが、関ヶ原の戦傷が癒えず、1602年(慶長7年)に死去した
家督を継いだ井伊直継が幼少であったため、直政の遺臣である家老の木俣守勝が徳川家康と相談して直政の遺志を継ぎ、1603年(慶長8年)琵琶湖に面した彦根山に彦根城の築城を開始した
築城には公儀御奉行3名が付けられ、尾張藩や越前藩など7か国12大名(15大名とも)が手伝いを命じられる天下普請であった











