家臣達の意見は、上野介が処罰されなかった事に対する抗議の意思を籠城によって示すというものが多かったが、大石はこの意見には与しなかった

籠城をすれば公儀に畏れ多いと思ったためである

内匠頭の弟にあたる浅野大学に迷惑がかかると大石が考えたのも、籠城を辞めた理由の一つである

大石は城内での議論と並行して、上野介の処分を再考するよう城受け渡しの上使に嘆願書を出していたが、この事が大学の耳に入ったため、籠城が大学の指示だと思われるのを恐れたのである

連日の議論を経て、大石の出した結論は、赤穂城の前で皆で切腹しようというものであった

こういう決断を下したのは、切腹の際に自身らの思いを述べれば、幕府も上野介への処罰を考え直してくれるのではないかと考えたからであるる

また、大石はほどなく切腹を口にしなくなるので、切腹という方針を出す事で本当に味方する藩士を見極めようとしたとする説もある

最終的に切腹という結論が出ると、切腹に同意する旨の神文(起請文)を60人余りが提出した

なお、議論がすぐに収束しなかったのは、次席家老の大野九郎兵衛等による反対意見もあった事による

大野はとにもかくにも主君の弟である大学が大事だから、まずは穏便に赤穂城を幕府に明け渡すのが先決だと考えていたのである

しかし切腹の神文を提出する段になって、原惣右衛門が「同心なされない方はこの座をたっていただきたい」と発言すると、大野をはじめとする10人ばかりが退出した

なお原はもしこのとき大野が立ち退かなかったら大野を討ち果たしているところだったと後で回想している

大石は4月12日に赤穂城の明け渡しを最終的に決定した