討ち入りをした大石良雄ら赤穂浪士(赤穂義士)を祀る大石神社
江戸時代には幕府にはばかって表立って顕彰することはできなかったが、明治元年(1868)明治天皇が赤穂浪士の墓のある泉岳寺に勅使を遣わしこれを弔って以降、赤穂城内に神社を作ろうとする動きが起きた
大正から昭和初期に赤穂市と京都市に赤穂浪士を祀る神社が創建された
江戸時代後期から流行していた藩祖を祀った神社のひとつ
赤穂藩主浅野家・森家祖霊と旧・大石神社祭神の大石良雄ら赤穂浪士47人および中途で自害した萱野重実などを主祭神とする
主君の仇討ちという大願を果たした祭神に因み、「大願成就」の神徳で信仰を集める
巫女さん初詣研修が行われていました
第二次世界大戦後、城内の神社に祀られていた浅野氏三代および、城外の赤穂神社に祀られていた、浅野家の後に藩主となった森家遠祖の七武将(森可成、森可隆、森長可、森成利(蘭丸)、森長隆(坊丸)、森長氏(力丸)、森忠政を合祀した
境内には 高麗犬(こまいぬ)の石像が随所に見られる
通常の神社における狛犬より獅子の要素が薄く犬に近い
義士宝物殿には「犬の受け取り証」も展示されており、浅野家治世の赤穂が犬と非常に縁があった史料となっている
犬を連れて参拝できる全国でも稀有な神社である
左・浅野家違い鷹ノ羽門
山鹿神社
山鹿素行は1652年から8年間、藩主浅野長直の招聘で禄千石で浅野家に仕えた
城主や藩士に素行学を教授した
大正元年、大石神社創建に際し浅山神社に祀られていましたが平成12年、境内社合祀殿の一つ山鹿神社に祀られ偉業を讃えている