春はあけぼの 花なら桜 武士の鑑ぢゃ赤穂浪士・・・野口雨情

正保2年(1645)常陸国笠間藩より転封となった浅野長直が浅野家菩提寺として建立

山号は台雲山(たいうんざん)

浅野家、森家の歴代藩主の菩提寺

また、大石良雄の祖先が眠る大石家先祖の墓、義士墓、家族墓などがある

現在の住職はパーリ仏教研究者で駒澤大学仏教学部教授の片山一良さん

新西国三十三箇所第31番札所

元禄14年(1701)浅野長矩による江戸城松之大廊下での吉良義央に対する刃傷事件が起こり、浅野家は改易となった

翌元禄15年(1703)赤穂浪士による吉良邸討ち入りが起きる

その後、1年の幕府預かりを経て永井家が入ったが、わずか4年で飯山に移封された

宝永3年(1706年)1月には森家が赤穂藩主となり、花岳寺を菩提寺と定めた

赤穂浪士37回忌にあたる元文4年(1739)に、神崎与五郎、茅野和助、横川勘平ら作州(元・森家)ゆかりの者が討ち入っていたことから、境内に森家家臣の小林貞真などの有志により義士墓が建立された

新西国霊場第31番御詠歌

よろづよの 人のかがみと 匂ふなる 花岳寺の 庭のいしぶみ

ここに義士達の遺髪が納められているという説があるが確証はない

また、浅野長矩の墓があるが、赤穂事件の後に瑤泉院(正室)は曹洞宗から離脱、宗旨変えをしており、花岳寺に浅野長矩夫人の墓(遺髪供養墓)はない

明治維新後、赤穂城にある建物が取り壊されたが、西の惣門が花岳寺の山門として移築されている