尼子山大岩

山陰、山陽8カ国、120万石の太守となった尼子晴久が、天文7年(1538年)に播磨に侵攻し、このとき尼子氏の城となっていたものと思われる

尼子氏が城山城(きのやまじょう)を拠点に支配を拡大するなかで、尼子山城もその勢力下にあったと考えられています 

毛利と尼子の戦いにおいて、毛利勢は天然の要害尼子山城に苦戦を強いられます

1人の老婆に抜け道を教えられ、尼子軍を背後から不意打ちし、城攻めを成功させたとの伝説や、落城時に刎ねられた尼子義久の首が麓の浜市まで飛んでいったという伝説が残る
 

また、登山口すぐのところに義久の墓と言われる墓が残されています

史実では、義久は慶長15年(1610年)に長門(ながと)で死去しており、ここに義久が埋葬されているわけではないようですが、城跡が地元の人々に大切にされてきたことが分かる場所です

本丸があった場所でしょうか

家島諸島が見えました

ズームアップ

手前は宝珠山、茶臼山

四等三角点259m

尼子山湧泉