はげ山から赤穂富士
現在は木が茂っているが千種川、坂越を一望する場所
ちょっとした広場になっており櫓が建っていたと思われる
尼子山分岐に戻り山頂を目指します
山頂迄ほぼロープ場
4合目休憩場からの展望
左・宝珠山、右・亀甲山
永禄6年(1563)、毛利元就に背後から攻められ落城
足元が荒れているのでトラロープはありがたい
転んだら間違いなく大怪我
尼子義久:天文9年(1540)、出雲国の戦国大名・尼子晴久の次男として生まれる
幼名は三郎四郎
13代将軍・足利義輝より「義」の字の授与を受けて、義久と名乗る
なお一説によれば、播磨国赤穂の尼子山城にて一時城代を任されていたというが、詳細は不明