足利尊氏を開基とし、夢窓疎石を開山として開かれた天龍寺

後醍醐天皇の菩提を弔うため暦応2年(1339)に創建

借景式庭園「曹源池」

石庭

造営に際して尊氏や光厳上皇が荘園を寄進したが、なお造営費用には足りず、直義は夢窓と相談の上、元冦以来途絶えていた元との貿易を再開することとし、その利益を造営費用に充てることを計画した

これが「天龍寺船」の始まり

造営費の捻出に成功し天龍寺は康永4年(1345)に落慶

名勝嵐山や渡月橋、天龍寺の西側に広がる亀山公園などもかつては境内地であった

檀林皇后と称された嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が開創した禅寺・檀林寺の跡地

檀林寺が廃絶した後、後嵯峨上皇が仙洞御所を造営し、さらに亀山上皇が仮の御所を営んだ

かつて広大な寺域と壮麗な伽藍を誇った天龍寺は度重なる火災に8回見舞われている

応仁の乱による被害は大きく、天正13年(1585)に豊臣秀吉の寄進を受け復興

その後、蛤御門の変に際して長州軍の陣営となり、兵火のために再び伽藍は焼失