京都市西京区山田北ノ町にある臨済宗衣笠山・地蔵院

約束の時間があり拝観は出来なかった

衣笠(藤原)家良に由来する衣笠山(えりゅうざん) 

夢窓国師を開山とし、最澄作といわれる延命安産の地蔵菩薩が本尊

周囲を竹林で囲まれていることから竹の寺の通称で知られる

もともと衣笠内大臣といわれた歌人の藤原家良が山荘を営んでいたところで、寺は応安元年(1368)、室町幕府管領を務めた武将の細川頼之が尼僧妙性から土地を買取り、寄進したことによって創建された

細川頼之は碧潭周皎(へきたんしゅうこう、宗鏡禅師)に帰依して出家した

当寺の実質的な開山は碧潭周皎であるが、碧潭は法兄である夢窓疎石を勧請開山としている

南北朝時代には勅願寺となって寺運も興隆したが、応仁の乱の兵火により伽藍を焼失し寺運も衰えた 

江戸時代までは境内にわずか2つの末寺が残っているだけだったが、貞享3年(1686)方丈が復興し、寺観が整備された

江戸期には天龍寺に属した

もとは臨済宗に属していたが、昭和43年(1968)に独立して単立寺院となっている

なお、一休宗純は6歳で出家するまで母と共にこの寺で過ごしたと伝えられており、2017年には「一休禅師母子像」が境内に建立されている

名古屋から家族と一緒に来られたワンちゃん(*^^*)