国指定史跡・甲府城跡「舞鶴公園」

天守曲輪から本丸へ通じる南側の門です。 約140年ぶりに復元整備され、平成25年から公開しています。富士山が眺望できる場所

武田氏滅亡後、甲斐国は信長の領国となり、本能寺の変後は家康の支配下に置かれました

家康は平岩親吉に甲府城の築城を命じ、築城が開始されましたが、家康が関東移封となると、秀吉が羽柴秀勝らに命じ築城を進め、浅野長政父子の手により完成

関ヶ原の戦い以降は再び徳川の城となり幕末まで存続した

1704年、柳沢吉保が城主となり大名の城として整備され城下町とともに大きく発展した

柳沢氏が大和郡山城主として移封されると幕府直轄領となり、舞鶴城は甲府勤番の支配下に置かれる

享保年間の大火により本丸御殿や銅門などを焼失、壮麗な姿は失われていきました

明治10年廃城令により取り壊される

鍛冶曲輪門

ライトアップされた山梨県庁

七色の噴水

甲府城(舞鶴公園)の道を挟んだ向かい側

甲府駅

信玄の顔を模して作られたダルマ

かくしてヤマナミちゃん2500超峰踏破立会は無事終了しました<m(__)m>