国指定遺跡「多田神社」
六孫王大神、壷井八幡宮とともに「源氏三神社」の1つ
前身は「多田院法華三昧寺」と号した天台宗のち真言律宗の寺院、境内は現在でも「多田院」の名称で、初期清和源氏の本拠地で源氏一門の祖廟であり「清和源氏発祥の地」とも呼ばれる
清和源氏興隆の礎を築いた源満仲からその曾孫・源義家までの五公を祀る
リハビリ中のY氏&Kさん
天禄元年(970)に清和源氏の祖・摂津守源満仲が住吉大神の御神託を受けて当地に居館を構えた
満仲の末子源賢を開山として天台宗寺院・多田院鷹尾山法華三昧寺(通称多田院)が建立された
その際に円融天皇より「此の城をもって禁裏守護職武門の棟梁万代の居城たるべし」との勅諚を賜ったとされる
満仲は自らの武士団を率いてその館と多田院を中心に多田荘の開発に勤しんだ
本尊の丈六釈迦如来像は満仲、文殊菩薩像は満仲の長男源頼光、普賢菩薩像は次男源頼親、四天王像は三男源頼信がそれぞれ願主となって作られた
長徳3年(997)8月27日に満仲が没すると多田院に葬られ、新たに廟所と満仲像を祀る御影堂が建立された
天正5年(1577)兵火によって社殿が焼失し以後荒廃したが多田院御家人の子孫などによって社殿の寄進や修復が行われている
元禄8年(1695)には5代将軍徳川綱吉による社殿の修復がなされ、徳川家との強い結び付きから「西日光」とも称された
明治時代の神仏分離令により、仏教寺院であった多田院は源氏三代を合わせた五公を祀る神社に移行した
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その際、南大門にあった金剛力士像が明治4年(1871)に満願寺に、境内の鐘楼は奈良県・西大寺に移された












