くじりたや いつか見染めし村娘
キリコ並立つ 富来の夜祭
男神・女神は夫婦の仲なのに年一度しか会えないのを、親切な村人の粋なはからいで、男神をお連れして「べべせー」と囃し立てる
ちょっと卑猥ではありますが、これを丁寧な言葉で表現するならば、 さしずめ " おヤリなすって下さいまし" であろうか
しかし、これでは威勢のいい御輿担ぎ若衆の心意気には合わない
祭り唄の合いの手では「あらべっべーしぇー、べ−べしぇっと」とも唄う
さて、神々のことはバーチャルリアリティーの世界、村の人々もこの二日間は許された無礼講の世界、少しエッチな行動も暗黙の了解となっているそうな(昔のことです)
若い男女の出会いの場でもあり、逢瀬の場でもある
古代から伝わる風習「歌垣」をも連想させる、豊葦原瑞穂の国のお目出度い「お祭り」です
なつかしや 富来の山里 何処にぞ、 くじりしおなご 暮らしけるぞや
記事は一昔前の、小生が未だ能登に居た頃の様子を主にして書いておりますが、現在は富来八朔祭も観光化され、 喧嘩祭りの要素や、キリコや神輿を担ぎながら全員で唄われる「祭り唄」も余り卑猥な歌詞のものはやめ、過激な無礼講的振舞いも自粛しているそうで、 能登を離れて随分経ちますので、昔と様子は大分違っているのではないかと思っています
<村祭り記憶>
当時、どこでもそうだったと思うが、村で中学を卒業すると、娘や次男坊以下の息子は地元では働く所も無く、丁稚奉公や町工場で働き口などを求めて都会へ出たものである
秋の村祭りの頃に、一時的に休みを貰って里帰りしてくる。お祭りは彼らにとっては旧友たちとも会える楽しみの場でもあった
男は酒が入り、いい気分だ
そこで幼馴染の女子が花柄のゆかた姿で、髪の毛綺麗に整えてお出ましです
久しぶりの再会の二人なのか
子供ながらも、今でも神社の境内での会話が記憶に残っている
「よーひさしぶり、達者け?
もとからいちゃけーや(可愛らしい)なーとは思とったけんど、
ちょっこら(少し)見んうちにだてこき(おしゃれ)になってしもーたげねー。」
「何言うとるがいね。ほぞこかんといて(ふざけないで)」
「げす(尻)でこー(大きく)なっとるげね。ちょっこり(少し)なぶらして(触って)ええけ(良いか)。」
「だら(馬鹿)なこと言わんといて!」
すきを見てそっと女のお尻を撫でる
「いやーん」
「ズロースとか履いてとらんげネ」
「なに言うとるがいね。ちゃんと(しっかり)履いとるぞぃね」
「ほんとけね、嘘や、ほんならちょっこり(ほんの少し)見せてみま」 ・・・
などと、男は軽口を交わしながら幼馴染にちょっかいを入れていた
おなごは恥ずかしがりながらも、どこかお祭りでの再会嬉しそう
若年の諸氏には解説が必要かと思うが、ズロース(Drawers)なるものが当時流行り始めていたころだ
それまで当時はパンティの類いは無かったので着けていなかったのだ
もっとも、聞くところでは、最近のおなごは着物などの時は、ヒップラインが綺麗に見えるようパンティでなく、Tバックだとか
何のことは無い、和服姿での昔のままのファッションスタイルがおなごのヒップラインにもよろしく、おのこにも実に "やさしい" 、
便利な(?)スタイルであったのである。西洋かぶれのまがい物を着けては、次に紹介のお祭りの「くじり」にも、だちゃかん(良くない)のである
そのうち、子供達の前ではまずいと思ったか人混みの無い、木の茂みのある方に二人が消えて行った
追っかける訳にもいかないからその後の顛末はどうなったは知らんが、男女は楽しそうであった
我ながら、おませな小僧だったのぉ、こんな会話を覚えているなどとは。子供ながら余程会話が刺激的に感じられたからなのかなと思う
※記事はネットを参考にしました





















