キリコの本数では能登随一の富来八朔祭

各地区のキリコが八幡神社に向かいます

男神と女神の出会いの伝説 

志賀町富来地区の増穂浦海岸は、さくら貝が流れ着く日本の「小貝三名所」として知られています

その昔、増穂浦に漂着した男神が住吉神社の女神に助けられ、夫婦になりました。ところが、荒波の音に我慢できなくなった男神は、山手に宮居(冨木八幡神社)を移してしまったといいます 

その後、年に一度(旧暦の八月朔日)、女神との逢瀬のために、男神を御輿に乗せて渡御したことが冨木八朔祭礼の始まりといわれています

レンガク「漢詩」

<くじり祭り> 

旧富来町、現在は町村合併で志賀町に吸収されて富来町の名前が無くなりましたが、この祭りの正式名称は「(富来)八朔祭」と云い、旧暦の八月朔日に祭礼が執り行なわれていたことがこの名の由来です

八朔祭りは別名、能登では「くじり祭り」とも言われている

「くじり」は能登の方言(?)だが、何を隠そう、女性の秘部(ちゃんぺ)を手で触る仕草を云う 

正確には「抉る(くじる)」は方言ではなく、今ではあまり使わないが「穴を、うがつや棒などでかき回す 」などの意味の古い言葉です

英語では "Fingering" と云うそうだが、現在の俗な言葉では「手マン」だろうか

1,100年程前、富来が藤原氏家の荘園富来院を称していたころの出来事(伝説)に名前が由来するらしいが、何とも不思議な名前である

祭りの囃(はや)し言葉は「くじれとや、くじらんかね」と言う言葉を使ったりするそうです

海側の住吉神社の女神と里側の冨木八幡神社の男神とが年に一度の八朔の日に、「夏の夜の逢瀬」を楽しむのを祝うお祭り

これは、天の川を挟んで夜空に輝く「織姫」と「彦星」が年に一度だけ会う事を許された話「七夕」と近いストーリーです

実は両神は夫婦であり、訳あって別の場所に離れて住んでいるだけで、 寧ろ、離れて住んでいる方が不思議でもあるのだが

お祭りは、村中のキリコ、神輿が男神の神社に集まり、「さ~せい」の掛け声と共にキリコを揺らしたり、持ち上げたり、境内を走り回ったりする「キリコ乱舞」が行われます

その後男神を神輿で連れて女神の神社に送り届け、一夜の「まぐわい」をさせて、翌日元の神社に連れ帰るのがテーマになっている

この「まぐわう(性交する)」を、能登の方言では「べべ」すると云います

神輿が女神の神社に入る時に、"ワッショイ、ワッショイ" ではなく、"べべせー、べべせー" なのだ

"せー" はやはり方言で "する" の命令形です

乙女らに 小僧も色めく 村祭り

八幡神社前の民家

※ネットの記事を参考にしています