富来領家町にある住吉神社
勧請の年代不詳
境内には芝生が敷かれています
明治39年神饌幣帛料供進神社に指定される
境内社に度会社、金比羅社があり、8月31日、9月1日(現在は8月最終の土日に実施)に八朔祭があり、冨木八幡神社の神輿が本社に渡御する
御祭神:上筒之男命・中筒之男命・底筒之男命
八朔祭(通称くじり祭りという奇祭)
旧暦の八月朔日に祭礼が執り行なわれていたことが名の由来
その昔、八幡神社の男神が増穂浦に流れ着き、近くの住吉神社の女神に救われて夫婦になった
しかし、住吉神社は海が近いため厳しい荒波が怖くなり、やがて八幡の男神は里へ移り住んだ
以来、夏の一夜の逢瀬を楽しむ男神を神輿に乗せ、2キロ離れた住吉神社の女神のもとへ賑々しく運ぶのが祭りになったと伝えられています
祭りは、1日目の夜がお旅と呼ばれ、八幡神社の男神が住吉神社へ渡御します
渡御に先立って、寄り合う各地区民が鐘や太鼓を打ち鳴らし、大小のキリコ(奉灯)を伴って八幡神社に参集します
祭り唄を放歌し、沿道の両側を埋める見物客をかき分けながら八幡神社へ駆け上がる様は圧巻
キリコの数は30基に及び、各地区では、漆塗りのキリコの華美や大小を競う一面もあるため見応えがあります
翌2日目の本祭りは昼過ぎから行われ、12基の神輿が住吉神社に参集後、増穂浦海岸、領家町、地頭町、高田等を巡行し、夜半に八幡神社に還御します
八朔祭礼は今から約千年前から始まったと伝えられ、非常に永い歴史を重ねており、様々な時代、あらゆる人々の生活をくぐり抜けながら、現在に受け継がれてきました
地頭町にある建部神社
往昔、村の長に一女がいて、その神託により奉斎され、白鳥が神霊であったことから古くは鳥の宮と称され、富来の町名は鳥の宮を鳥来と呼び、後、与来に作り、今、富来という
神輿の出番は翌27日の本祭
これ本社の所伝から生じたものである。境内に金刀毘羅社がある。明治39年神饌幣帛料供進神社に指定される
※ネット資料を参考にしています















