7月26日14:38分、御幸森天神宮
仁徳天皇・少彦名命・忍坂彦命
都会のオアシス
御幸森とは、仁徳天皇が鷹狩りに行幸され、休憩された森だったとか
古代河内湖のほとり 猪飼野津 といわれた低湿地に鎮座する
この辺りは百済野といい、三韓(百済・新羅・高句麗)特に百済の人達が多く住み、優れた文化の華を咲かせていた
昔の東成郡猪飼野村の氏神
天皇崩御の後、この森に社殿を建立し、天皇の御神霊を奉祀して御幸森とした
猪飼野の地名の起こりは大変古く、日本書紀の仁徳天皇14年の条に、猪甘野に橋渡すとあり、猪甘の津に由来
入江が陸地化して「猪飼野」になった
また朝廷に献ずるための猪を飼う猪飼部の民が多く居住していたと思われる
百済からの渡来人・王仁(わに)博士が、仁徳天皇の即位を春の到来になぞらえて祝い詠んだ歌
江戸時代の朝鮮通信使の対馬藩通訳・雲明がこの和歌をハングルで表し贈りました
日本と韓国・朝鮮との友好・共生が長く続くことを願い、この歌碑を難波の猪飼野の地に建立しますとあります









