重要文化財「聖神社社殿」
府和泉市王子町に鎮座する式内社で、「和泉五社」の一つで、和泉国三宮とされる和泉国でも格式の高い神社です
重要文化財「瀧神社本殿」「三神社本殿」
社伝によれば、白鳳三年八月十五日に天武天皇の勅願により信太首が国家鎮護の神として「聖神」を祀ったとされています
白鳳とは寺社の由緒や地方の歴史書などに見られる私年号であり正式な年号ではありません
多く白雉(650年~654年)の別称だとされていますが、当社の社伝ではそれ以降のこととして、白鳳三年を西暦674~675年としています
白鳳を672年以降とするのは中世の寺社縁起等でよく見られます
当地一帯は古くより「信太(シノダ)」と呼ばれ、当地は渡来系氏族の「信太氏」が居住したと考えられています
『新撰姓氏録』和泉国諸蕃に百済国の人、百千の後裔であるという「信太首」が登載されており、社伝ではこの氏族が当社を創建したとしています
当社の祭神は古くから諸説ありますが、現在は社名の通り「聖大神」を祀っています
『古事記』によれば聖(ヒジリ)神はスサノオの子である大年神(オオトシノカミ)が伊怒比売(イノヒメ)との間に設けた末子です
「聖(ひじり)」とは「日知り」の意であり、太陽の運行から季節を知る技術のことで、つまり聖神とは暦を司る神です
また農耕において暦が重要であったことから、親神の大年神と共に農耕の神でもあります
このことから当地に居住した渡来系氏族は「日知り」即ち太陽の運行から季節を知る専門の職掌を担っていたことを示唆しています
さらにこれが後の陰陽道の淵源の一つとなった可能性も考えられます
当社は江戸時代まで神宮寺として真言宗の「万松院」がありましたが、明治の神仏分離により廃寺となりました。今でも境内に不動明王像が祀られるなど、その名残がほんの僅かに残っています











