文月や六日も常の夜には似す・・・芭蕉

天台宗山門派寺院でかつては数百名の僧兵を抱える大寺院でした

807年最澄により開かれたと伝わります

元は鈴鹿山脈国見岳にあったが、1568年信長の命により滝川一益軍が押し寄せ数百人もの僧兵が戦ったが兵火により灰燼に帰した

この時、菰野地区の天台宗の寺院・引接寺・慈眼寺・正眼寺・静安寺などが焼き討ちされ消滅している

1686年菰野藩主・土方雄豊により再建されるが、その後本堂が焼失し1815年に再建されている

折り鶴伝説があり、今日では恋愛成就の祈願寺として有名

湯の山温泉では、10月に信長軍と闘った僧兵を偲ぶ「僧兵まつり」が行われる

靄の日や日はしっとりと今朝の秋・・・壬子秋義観代

冒頭の芭蕉の句は芭蕉が直江津で詠まれたもので意訳すると

<明日は年一度、織姫と牽牛が天の川で逢うのであろうと思うと、六日の今宵はいつもの夜とは違う気分がするものだ>

長旅の疲れに暑さも加わり、憂愁の芭蕉に雨あとの直江津の夜空は格別に美しかったと思われます

なぜ湯の山に芭蕉の句が選ばれたか定かではありませんが、西菰野村庄屋・矢田伝兵衛ほか3名の連署で、三嶽寺恵孝入寂後無住にて桑名仏眼寺の義観を後任に願い出て候

※桑名藩は越後に領地があり柏崎陣屋が統治していたことが関係していそうだ

※そういえば会社の先輩・故横山高治著「幕末転勤伝」で桑名藩と柏崎のことが書かれていたので因果関係があるのでしょう

それから3年後の1852年壬子秋に義観が建立したものと考えられています

三嶽寺境内の三本杉は景勝の地で俳人や歌人が集まり月見の宴や句会・歌会が催された

史跡認定の石柱

三嶽寺の由来:御在所岳・鎌ケ岳・国見岳の3座から

鎌ケ岳図絵

2019年4月29日三嶽寺の横にある登山道から鎌ケ岳に登った