五色塚古墳に関する最初の記事は、日本書紀に見られます
仲哀天皇の偽の墓で、葺石は淡路島から船で運んできたと書かれています
しかし、ほかの古墳と同様に、すべて丁寧に作られていることや、人が葬られる石室の石材が出土していることから、偽物とは考えられません
江戸時代には様々な人が訪れ、絵や文章などの記録を残しています
18~19世紀に活躍した絵師・司馬江漢も長崎旅行の途中に立ち寄ったことが、彼の残した日記に記されています
明治・大正時代には、人類学者や考古学者が調査をし記録を残しています
ほとんどの学者は、埴輪に興味を示し、その大きさや配列状態を記録しています
第二次世界大戦中、古墳に生えている松を切り船材としたり、その根から油を採取しました
戦後は食糧難から畑として開墾されたために、荒廃してしまいました
昭和30年代の後半になり、五色塚古墳を守ろうと、文化財保護委員会(現文化庁)が計画を立て、
神戸市が地域の方々の協力を得て、昭和40年から10年の歳月をかけ、発掘調査と復元工事を行いました
整備に向けて発掘調査が始められたのは昭和40年12月でした
いやあ~デッカイなあ~
埋葬者が誰か、夢が膨らむ ^^) _旦~~
仲哀天皇について調べてみよう( ..)φメモメモ
神戸市の資料では明石海峡とその周辺を支配した豪族と、無難な考えをしているが・・・












