人もをし人もうらめしあぢぎなく世を思ふゆゑにもの思ふ身は・・・後鳥羽上皇

「訳:思うようにならないと、この世を思ゆえに物思いをする私は、人を愛しいとも恨めしいとも思う」

 

安樂壽院・本尊は本阿弥陀如来像(重要文化財)

鳥羽上皇により保延3年(1137)に供養された寺院

境内中央には大きな園池があり、和歌山県高野川流域から運ばれた景石が汀から出土している

真言宗智山派

調査で発見した景石は、その活用を目的に、安樂壽院収蔵庫の周囲に移築復元を行うことになりました

移築に際しては調査当初の姿に戻すように心がけました

景石の大半は高野川流域から採取され、和歌山県周辺部から運ばれたと推定される和泉砂岩や緑色片岩も見受けられます

鳥羽離宮は、平安時代後期に白河上皇の院政開始の象徴として造営が開始され御所と御堂及び苑池からなる広大な離宮である

白河上皇から鳥羽上皇に引き継がれて壮大な離宮として完成を見、後白河院政期にいたるまで政治の舞台となった

その東側に建てられ鳥羽東殿とも称された安樂壽院は、御堂と御所に続いて塔二基、焔魔堂、九体阿弥陀堂、不動堂などが加えられた

その一つの三重塔は鳥羽上皇が自らの葬堂とするために建立し、崩御の後この塔内に葬られた

安樂壽院南陵・近衛天皇陵

多宝塔に御骨が収められている