平群町福貴「ツボリ山古墳」

西側は道路に面し、他三方は住宅に囲まれている

丘陵上に築かれた20m前後の円墳ないし方墳と考えられています

築城時期は、石室構造や石棺の形式から7世紀初頭に位置づけられる

羨道部の石棺は蓋を欠くが、玄室部の石棺は蓋・身ともに残存しており、棺蓋に6ケ所の縄掛突起を持つ

青空市場

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北富貴の高台に建つ大和棟民家・重要文化財「藤田家住宅」

元禄年間17世紀に建てられ、大規模な改修が3回行われている

当初の外観は、元和年間の古絵図にもある茅葺き入母屋造りであった

文化4年の第2次改造で大和棟に変わっている

外塀の傍に咲く梅

藤田家は甲斐武田氏に仕えていたが室町期に武田氏が滅ぶと大和に移り、筒井氏・藤堂氏に仕えた

江戸時代初期・元和の頃に平群に転封され、帰農して庄屋を歴任した

系図によると武蔵国藤田庄に藤原氏の荘園があり荘官していた

鎌倉期に武士となり上杉・武田氏に仕えた