創建は大和時代470年頃と伝わる古社

延喜式内名神大社(全国285社の内当神社二座)

朝廷の崇高篤く持統天皇の元年(689)10月に行幸されて以来、称徳天皇天平神護景雲2年には河内・丹後・播磨・美作・若狭の地三七戸を神封に充てられ、文徳天皇嘉祥3年(850)10月に正三位、清和天皇貞観元年(859)正月に従二位、さらに正一位に叙せられ恩智大明神の称号を賜り明神大社として延喜式名神帳に登録される

醍醐天皇、村上天皇の御宇の大干ばつに勅使参向して祈雨をされ、その霊験があり、それぞれ蘇生したと伝わる

一条天皇正暦5年(994)4月に中臣氏を宣明使として幣帛を奉り疫病等災難除けを祈った

これが当神社の夏祭(御祓祭)の始まりとされている

今から650年前の恩智左近一族によって造られた石段

江戸時代終わりまでは奈良春日社の猿楽は当神社が受け持ち、この猿楽座に対して春日社より米七石五斗・金若干が奉納されていた

神宮寺「感應院」からの展望

尚、三代実録によれば当神社は河内国下水分社といわれその霊水は現在も湧き出ている

感應院庭園

御神徳は衣食住を守護し、殖産産業の守り神として古来より信仰されている

神功皇后の陸上安全を司った大神で交通安全に御守護される神様でもある

河内国を守護する河内全域の総氏神として篤く崇敬されている

祓いの神としては方除け厄除けの護り神で人形を用いた祓いは有名である

人形供饌は無形文化財指定を受けている