かって知人がいましたが恩智を訪ねるのは初めて

日本書紀巻第三に、「神武天皇は天王の森の大樹を指し、<恩は母のごとし>と言った。因んでその地を母木村と名づけた」とある

楠木正成の臣下で恩智城主であった恩智左近満一の人物像、子孫についても調べてみよう

「九桜」の桜も見てみたいものだ

天王の森西端にある「子守地蔵尊」

子供のいたずらによって神社が汚され、その汚れを落とすために川に流されたお地蔵さんとか

住吉大社神代記に恩智・母木里のことが書かれています

時に恩智神が住吉大社にお参りになる。すなわち、毎年春と秋に住之江に通われます。これにより猿の往来が絶えないのはこれその験なり

母木里と高安との境界に諍石が置かれており、

住吉大神が、この山に長く誓われて「草を焼く火がある。水は朽ちるとも石は永久に残るとのたまわれた」

恩智神と母木里が一体であることが読み取れる

石器時代(縄文・弥生)の土器や石鏃が出土した

天王の森は恩智神社の頓宮(御旅所)

国指定登録文化財「萩原家」

江戸時代に木綿商を営んでいた民家

現在は古民家カフェ「茶𠮷庵」として活用されています