時間がたつと記憶が薄れてしまう
大龍寺の周辺です
二本松林道分岐
城山コース・布引へ向かう
分岐を左へ
標高316mに立つ「瀧山城址」
30以上の曲輪群、堀切、土塁が残る
南北朝時代に赤松氏が築城したとされる
戦国時代には三好長慶が西摂津の拠点として松永久秀に大幅な改修をさせている
三好長慶の死後、三好三人衆と松永久秀が対立、三人衆は安宅信康に命じて淡路水軍を率いて瀧山城を攻めた
城の護りは非常に固く11名の首を討ちとっただけで兵を引いた
その後膠着状態が続いたが、安宅軍に、三木氏、明石氏、衣笠氏などの播磨勢の援軍が到着、水の手を切り、永禄9年8月17日総攻撃を仕掛け落城させた
その後三好三人衆方の篠原長房が城主となるが、信長が芥川城を落城させると、篠原軍は瀧山城を放棄
その後花隈城主池田泰長の支城となったが、荒木村重の謀叛により篠原氏は瀧山城を放棄した
荒木村重は織田軍の攻略の拠点として使用されたようだが、花隈城の落城と共に約260年の歴史に終止符を打ったと推定されている
450年の年月を経て城跡は鬱蒼として森になっていた










