11月25日、読売新聞社近くの円通院墓地に大石内蔵助実父・権内良昭の墓があることを知った

50年近く傍を通っているが気にも留めていなかった

大石瀬左衛門信清実父八郎兵衛の名が併記されている

大石瀬左衛門信清:内蔵助の曽祖父良勝の弟から分かれたのが瀬左衛門の家で、浅野内匠頭切腹の報せを赤穂に届けています

墓碑再興発起人に4人の名前が記されています

大石良昭:内蔵助の実父で、赤穂藩筆頭家老良欽の嫡男として誕生。母は水戸藩士鳥居忠勝の娘

岡山藩池田家の重臣くまと結婚、長男良雄、次男専貞、3男良房を儲けた

赤穂藩大阪屋敷に勤めていたが、父良欽に先立って34歳で死去。良雄が祖父の養嗣子となって大石家の家督を継いだ