国宝北円堂

八角堂は廟堂の意味を持つ

本尊像弥勒如来坐像:運慶晩年の作(国宝)

弥勒菩薩の左は大妙相菩薩像・右は法苑林菩薩像

弥勒菩薩が56億7千万年後に成仏した姿

養老4年(720)に亡くなった藤原不比等の追善供養のために、元明太上天皇と元正天皇が建立を発願し、長屋王に命じて一周忌にあたる翌年の8月3日に完成させた

無著と世親は4~5世紀の北インドの兄弟僧侶

※堂内は撮影禁止のため写真はリーフレットのもの

法相教学の祖師として尊崇され、人種や時代を超えた理想的な仏教の求道者の姿として運慶が追及・表現した

二体一組で対照的な表現を示しており、老年の無著は裂(きれ)で包んだ箱を抱いて優しく人々を見守っている

弟の世親は壮年で遠方を見つめる意志の強い姿で現される

共に体躯は量感に富んでおり、玉眼による目の表情がいきいきとしている

運慶の代表作というだけでなく日本彫刻を代表する名法の一つである

木屎漆(こぐそううるし)を使った技法とユーモラスな表現

増長天と多聞天像の台座裏の墨書から、延暦10年(791)に制作、もと大安寺に伝来した四天王立像

後に興福寺に移り、弘安8年(1285)に経玄が修復している

木肌の上に厚く木屎漆(木屑と漆を混ぜたもの)を盛り上げて整形する木心乾漆造の作例

高さは140cmに満たないが下半身は安定し、持国天や多聞天では筋骨隆々としている

持国天の瞳のユーモラスな表情など、全体を通して表現に特徴がある

正倉院宝物「鹿草木夾纈屏風」をモチーフにした戸張

2頭の鹿が草花を挟んで向かい合う姿が描かれている

永承4年(1049)の火災で焼失し、治承4年(1180)の平重衡による南都焼き討ちでも失われたが、承元4年(1210)に復興された

興福寺伽藍で今残る堂宇の中では最も古く812年前の建物である