陽明園「陽明門」前で
昭和61年王陽明の生誕地である中国浙江省余姚市(よようし)と日本陽明学の祖・中江藤樹生誕地安曇川町との友好交流のシンボルとして造園された中国式庭園
中江藤樹記念館横のダマの木
時間がなく記念館見学はしませんでしたが、ロビー壁画には幼い中江藤樹が祖父と米子へ旅立つ姿を描いた信楽焼陶板画が掛けられている
郷里の共同墓地にも大きいのがあったな
常設展示では藤樹の遺品・遺墨を中心にテーマを設けた企画特別展示を実施
1616年(9歳)祖父𠮷長の養子となり米子へ移住
1617年(10歳)藩主加藤貞泰の転封により大洲藩へ
1621年(14歳)天梁和尚に書道や漢詩をまなぶ
1622年(15歳)元服 字を惟命という
祖父𠮷長卒
1624年(17歳)京都から来た禅僧に「論語」を学ぶ
1625年(18歳)父𠮷次卒
1628年(21歳)大学啓蒙を著す
1630年(23歳)安昌、玄同を弑するの論を書く
1631年(24歳)林氏、髪を剃り位を受くるの弁を書く
1632年(25歳)近江に帰省し母に大洲での同居を勧めるが拒否される
1634年(27歳)辞職願を提出するが許可を得られず。7ケ月後脱藩し近江へ帰郷
1637年(30歳)伊勢亀山藩主高橋小平太の娘久と結婚
1638年(31歳)持敬図説、原人を著す
1639年(32歳)藤樹規、学舎座右戒を作る
1640年(33歳)性理会通を読み、太乙神を祭る
翁問答を著す
1641年(34歳)孝敬啓蒙の執筆開始、熊沢藩山 入門
2642年(35歳)長男宜伯誕生
1643年(36歳)小医南針を著す
1644年(37歳)陽明全集を入手、神方奇術を
著す
1646年(39歳)次男仲樹誕生、夫人久卒
1647年(40歳)大溝藩士別所友武の娘布理と
再婚。鏡草を著す
1648年(41歳)7月4日三男季重誕生
8月25日中江藤樹卒
(年齢は数え年)
「安曇川の四季」
春は花咲く安曇川の 広瀬橋から眺めれば
山もとかすむ伊吹山 何と世界の広いこと
夏は田中の夕涼み 昔なつかし物語り
安曇川の田んぼに日暮れりゃ 万木森から月が出る
秋は稔りの涼風に 藤樹書院の藤〇散
娘十八紅とく なんと小川清いこと
冬は雪降る琵琶の湖 本庄港に妻待てば
大漁の唄の聞こえくる さぞや〇〇うれしかろ
松本○○作詞










