万民ことごとく天地の子なれば
われも人も人間のかたちあるほどのものは、みな兄弟なり
徳本堂
「致良知」五事を正す
人間誰もが生まれながらに天から得た良知と呼ばれる美しい心を持っています
しかしそれは我欲に覆われていますから絶えず磨き続け鏡のように輝かせることが大切です
「透かし彫り・致良知」
良知が明らかになれば天と一体になって安らかな人生を送ることが出来るのです
藤樹はそれを「致良知」(良知に致る)という言葉で説いた
和やかな顔つきをし、思いやりのある言葉で話しかけ、澄んだ眼で物事を見つめ、耳を傾けて人の話を聴き、まごころを持って相手を思う
日常においてそのようにできれば良知に至っているのだと教えました
自らを省みて心を慎む日々を重んじたのです
藤樹舎を建て、学則「藤樹規」を掲げたのは大洲藩を辞して帰京した5年後の32歳の時
晩年には門弟らの手によって新たな講堂が建てられるのですが、その半年後の41歳の若さで生涯を終えました
寛政8年(1796)光格天皇から「徳本堂」の堂号が下賜されました
明治13年(1880)大火で村の大半が焼失したが重宝は村人により持ち出され、2年後に再建されたのが現在の講堂
自宅が類焼していく大火の中で神主、書物、什物などのすべてを護り、我が家の再建に先んじて復活を願った村の人たちの篤い思いが込められています











