帰省すると必ず通る場所「白米千枚田」

最盛期の資料にはその数7995枚であった

中学の同級生が5人いた

昭和50年11月国土地理院航空写真による白米

明治12年(1879)頃の絵図には地番別に番号が付き、田圃の枚数が記されており、合計すると7995枚であった

六町八反歩の面積で、1枚当たり平均面積は2.6坪(8.4平方メートル)で、畦道を除外すると実際の面積は2坪弱と思われる

当時の白米の戸数は24戸余りで、1戸当たりの所有面積の平均は約3反(3000平方メートル)

海から山までの高度差400m余りの傾斜地を造成開田した

肥料は、牛の糞、塩焚きの灰、海草、魚肥などが使われた

海岸には塩田があり、塩づくりのための塩木伐りが行われていた

小生の村でもそうだが、長い年月をかけて開墾開田した先人のご苦労の賜物なのです

輪島図書館「海辺に開かれた土坡の千枚田を調べる」参考