金蔵の地名の由来は、往古から在所の真上に金の鶴が舞っていて財宝の蔵があったとか

この口碑を実証したい思い、晴れ渡った日に岩倉山登り金蔵を眺めることにした

平成16年6月3日11時頃、金蔵の在所の真上に宝達連峰の石動山が、そして遥か彼方に残雪を残した白山を見ることが出来た

周りを山で囲まれた盆地の金蔵集落の真上で、残雪を戴く白山は正に金の鶴に観えた

石川県で「白山が見える場所」最北端

能登の名跡志に南志見川の源は金蔵の奥山からとか、金蔵寺とて真言宗あり、白雉年中開基の由、山王権現の社あり

近郷の大寺なり、昔は七堂伽藍にて八坊あり、兵乱に退転す

今の金蔵寺は松習院とて白山の別当なり、とあるので金蔵寺の寺号から金蔵村にしたと書かれている。しかし金蔵村に出来たので金蔵寺としたともいわれている

昔から金蔵在所は「極楽在所」また「なまくら在所」とも云われた

古代から金蔵の村人は信仰心が厚く、鎌倉・室町時代に各地に武士が勃興すると、岩倉山・金蔵寺七堂伽藍八坊があったので、この寺を盛り立て寺荘園として安楽な生活をしながら、外敵に備えたらしい

大永年間に兵乱で寺々もろとも全村焼け落ちされても、寺のありがたさが忘れられず、金蔵寺の大坊跡に白雉山松習院(現在の金蔵寺)を再建

隣村の徳成集落から正願寺と正楽寺を招き入れ、東印内集落に在った慶願寺を移し、それでも足りず円徳寺を建てた

お寺の檀家1戸から寺への貢は、平均して1石高に値すると言われている

金蔵五ケ寺の門信徒は600戸あるので、600石の禄高に匹敵する経済力が、寺々を通じて在所に及んだのである

米1石=140kg×600=84000kg

10kg3740円×84000kg÷10kg=31,416,000円(1戸当たり52,360円)

下記文献参照