慶願寺庭園は石川県古庭園20箇所のひとつ

元々は真言宗の寺で、541年開創の岩倉寺や、白雉年間(645~654)開創の金蔵寺からして相当古い歴史を持つと考えられる

御堂は金蔵で最も古い建物で、寛文10年(1670)に普請成就したもので、大正時代に板葺きであったのを瓦葺に屋根替え増築している

金蔵は千石在所と云い伝えられ、そのうちの550石が勢至観音の仏供田でお蔵納め(年貢)の必要が無かった

ところが上杉謙信の侵攻により、お蔵納めもしない信仰の対象である勢至観音を改めるという事態になった

勢至観音を出せば破棄は火を見るより明らかである。否といえば仏供田を認められず、年貢を納めなければならず、7日7夜相談した結果、先祖から受け継いだ勢至菩薩はござらぬと申し出た

それで不埒千万だということで、金蔵寺の七堂伽藍八坊、金蔵在所総て焼かれ、金蔵寺の住職が打首になった

この口碑は町野村史に、大永7年(1527)に兵乱に罹り七堂伽藍はもとより全字残らず焼失したと書かれている

口碑で上杉勢と伝えているが、大永年間には上杉謙信は生まれていず、年代をたどり調査してみると、七尾城主畠山義総に咎められたのではないかと思う

しかも次に記す足利義晴の将軍御内書があることが分かった

分国能州町野庄事、大永7年以来、無其沙汰云々、早可令進納儀可為肝要、猶(大舘)常輿可申候也 大永5年〇〇二十四日       足利義晴(在判)

苦難の歴史の上に現在の金蔵が継承されている。改めて先人の艱難辛苦に尊崇の念を抱いた<m(__)m>