時しらぬ嘆きのもとにいかにしてかはらぬ色に花のさくらむ・・・阿野廉氏
廉氏は後醍醐帝の、隠岐配流、南朝吉野にも同行した。3人の皇子、長子成良親王(皇太子)、次男尊良親王は新田義貞に奉じられて越前に下り、3男義良親王は後醍醐亡き後、12歳で南朝後村上帝となる。母廉氏は20年余り、吉野・賀名生・河内と苦難の生涯を送り、河内金剛寺で波乱の生涯を閉じている(58歳)
水分神社枝垂れ
散り始めており、隙間が多い
桜の見栄えを良くするのは人
シャクナゲの蕾膨らむ
本殿横から山門
茅葺?檜皮葺?
参観者の列
全体像
花矢倉展望台から中千本・蔵王堂
手前右手のヤマザクラを強調