14:19分、満開の上千本

大海人皇子は兄である天智天皇から譲位されたが、即位する気はなかった。しかし、大友に襲われそうなことを知り、戦いを決意した(愚管抄)

天智没後、即位した大友。なお大海人皇子を疑い、吉野宮を襲おうとした。大海人皇子は吉野を逃れ、尾張美濃の兵と共に戦った(水鏡)

後村上天皇が吉野山を逃れる時、「ここは大海人皇子が大友に襲われたが、後に勝利した場所なのに・・・。」と悲しまれた(太平記)

豊明の節会のあと、後醍醐天皇は京都の宮中との違いを嘆き、大海人皇子が天女を見たという袖振山を見て歌を詠んだ(吉野拾遺)

大海人皇子は太子の位を大友に譲って吉野に入った。しかし、大友はなお危惧し、吉野を襲おうと計画した(神皇正統記)

大友に追われる幼い大海人皇子を国栖の翁が匿った。大海人皇子が窮地を脱すると、蔵王権現が現れ、皇子の未来を祝した(国栖謡曲)

吉野山の名所「袖振山」を天女がここで舞ったのが名前の由来と紹介し、参考に大海人皇子が琴を弾いた記事を紹介する(大和名所図会)

大海人皇子こそ天皇となるべきなのに、思わぬ事情で吉野に左遷された。大友は天皇と崇められ、大海人皇子はどうなるのか・・・。(五節謡曲)

国栖の里は代々天皇が隠れたところで、この川が天皇に献上した国栖魚を取ったところだと、旅の人に紹介する(よし野の川鮎・謡曲)

大海人皇子が吉野に逃れたとき、天女が5人舞い降りて待ったのが由来なので、五節舞は五人の女性で行うのが古式だと解説(春雨物語)

大友が悪役とする評価を疑問視し、天智天皇崩御から天武天皇即位までの間、大友皇子が即位していたはずだと主張(長等の風)