ではお前たちも休んでおくれ

菌類・粘菌類の生物学の知識と、天衣無縫の野人的人間性において、柳田国男をして「日本人の可能性の極限」と評させた南方熊楠も、昭和13年70歳の頃から身体にあちこち故障が生じ、16年8月中旬、南紀の暴風雨の中、裸で培養中の菌類のとり片づけをしてから発熱して病床についた

12月に入ると衰弱が甚だしくなり、筆記も不自由になった

それでも18日には、8日のハワイ開戦に感激して東京の知人を介し、山本五十六大将に紀州ミカンを送ることを依頼している

12月28日、病状が重くなったので、家人が医者を呼ぼうとすると、「医者はいらん」と断り、「天井に美しい棟(おうち)の花(紀州田辺に見られる藤に似た薄紫の花)が咲いている。医者がくるとその花が消えてしまうから呼ばないでくれ。縁の下に白い小鳥が死んでいるから、朝になったら葬ってやってくれ」、と詩のような不可解なことをつぶやいた

夜になってから、「私はぐっすり眠るから、羽織を頭からかけてくれ。ではお前たちも休んでおくれ」といった

翌朝6時30分息を引き取った

遺骸の頭部だけが解剖に付された。熊楠の脳は平均より百グラム多く千五百グラムであった

 

1867-1941 74歳の生涯