大阪城落城から8ケ月後の1月21日、鷹狩りの後に鯛の揚げ物にニラで味付けした料理を食べ、夜半に腹痛と嘔吐を催す
死の病と自覚し死の準備を始めた
4月2日に遺言状をしたため、遺体は久能山に葬り、葬儀は江戸芝増上寺で行い、位牌は美川大樹寺に、一周忌に日光山と京都南禅寺金地院に小堂を建てて祀れと命じた
4月16日、愛刀の切れ味を家臣に試させ、申し分ないと聞くと家康も、二、三振りして冒頭の言葉を述べ、死後久能山に奉納せよという
「西国のかたは心許なく思えば、我像を西向きに、刀も鋒を西へ向けて立置かれし」
苦難の連続であったが、三傑の中で最も長生きし、徳川260年の礎を築いたキーワードは「辛抱」であった
1542-1616 74歳の生涯
