29日14:13分、河内国川上哮ケ峰「磐船神社」

御祭神:天照大神の御孫神・饒速日尊

(古事記、日本書紀に記述されている)

神武天皇東征以前に日本の中心である大和の國哮ケ峯(いかるがのみね)に天の磐船に乗り天降られた天津神

御祭神は十種瑞神宝を以って病み災う者を助け、和を以って人々を導いたとあります

饒速日尊が降臨に際して、天空より国土を望まれて「虚空見つ日本国=そらみつやまとのくに」と言われたことが「やまと」という国号の始まりとされています

その後、時代を経て神武東征の砌、御祭神の子孫は東征軍に敵する鳥見の首長である長髄彦を誅し、神武天皇大和創業の基幹となり代々武人の一族である物部として朝廷に仕え、御祭神はその遠祖として崇められた

その教義(十種瑞神宝)は長く代々の朝廷と共に栄えましたが、用明天皇2年(587)蘇我氏との争いに負け滅亡

物部氏滅亡後は、磐船・星田・河内田原・大和田原4村の総氏神として尊崇されている

その影響を受け社勢の衰退を余儀なくされたが、御祭神の事蹟と十種神宝の御稜威は磐船の磐座と共に人々に篤く信仰され、その根本意義は神道の血肉となり伝承されております

饒速日尊は、哮ケ峯から大和國鳥見の白庭に遷る

中世以降、ご当地は生駒修験の北端の霊場として栄えましたが、江戸時代の半ば相次ぐ天災で社殿を失ったが、昭和に入り復興を遂げた

御神体北側には数多の巨石からなる岩窟があり、岩窟巡り(有料)ができるが、この日は緊急事態宣言下で中止していました

磐船神社の創始年代は詳らかはありませんが、磐座信仰の形態と伝承の内容から、縄文から弥生への過渡期まで遡ると考えられています

地元の人たちにより護られている饒速日尊墳墓