散歩中に気になる石段があったので寄り道をした

大きな磐座にたくさんの仏像が彫られています

行者像

神仏混交

ネットによれば真言宗御室仁和寺派の末寺で修験道場として栄えた寺とありました

古記録「大和國添下郡岩屋山岩蔵寺記」には、役行者開基で、自ら一体の尊像「毘沙門天」を作り祀り「岩屋山」と号した、とある

 

平日でしたので人の気配はありませんでした

延暦年間(782~806)に、伝教大師最澄が堂を建立、毘沙門天を遷し、自作の「吉祥天女禅尼童子」を併せ祀り「岩蔵寺」と号す

弘仁年間(810~824)、弘法大師が京より高野山に帰る途中、不動明王を刻み、巌洞に安霊し所持した仏舎利を供えた

立派な窟です

かなり古いものです

修行の場であった滝や岩場・石仏群が残り、役行者摩崖仏があります

露出する花崗岩の岩肌に、高さ82cmの船形を彫り、くぼめた像(高さ68cmの縁の御行者像が見られました

宗教法人円応教の文字がありましたので、ネットで調べて見ました。創始が1919年、2018年に立教100周年を迎えたとあります

円応教との関係はよく分かりませんが、人の手によって護られていることは確か

先人の遺産として護り残さなければならない