21日、知人の絵画展に出かけた帰路に立ち寄りました
芦屋市の文教地区
小出楢重のアトリエを復元した建物内にあるカフェ
谷崎潤一郎は明治19年、東京日本橋に生まれる
小学校の頃は臆病で欠席も多く1年生を落第しているが2年次には首席で進級
高等科のときの担任の先生は仏教、儒教、哲学など小学生とは思えない高度な書物を読み聞かせた。父の事業の失敗で中学進学が危ぶまれたが、伯父の援助で府立一中に進学、家計の苦しさから住み込みの家庭教師をしながら苦学する
一校から東大に入学するも、放浪・無頼の生活を続け、授業料未納で中退となる。
明治44年「三田文学」で、永井荷風が谷崎の作品をとりあげて激賞、文壇に華々しくデビューする
大正4年9歳の時、石川千代と結婚、1女を誕生
大正12年、関東大震災で芦屋に移り住む
昭和2年、芥川龍之介の宿で松子と出会う
昭和5年離婚し、千代は佐藤春夫と再婚する
昭和6年、古川丁未子と結婚するが2年後に離婚
昭和10年49歳の時、森田松子と結婚
松子と出会ってから作家として黄金時代を迎えたようです
谷崎の作品には、鮮烈な物語の中に、優艶豊麗な女性像が描かれている
母・関の面影、松子への思慕、拝跪が谷崎文学に投影している
理想の女性への憧憬が、作家の芸術的境地を飛躍的に高め、数々の名作に結晶した
谷崎は、松子によって自己の文学の主調音を高らかに歌い上げ、そしてそれは代表作「細雪」へとつながっていく
60歳で終戦を迎え、旺盛な創作意欲を示すが、高血圧、狭心症が死の危機感を与え始めた













