纏向の 日代の宮は 朝日の 日照る宮 夕日の 日光ける宮・・・雄略天皇

穴師は相撲発祥の地

日本書紀に、大和の国當麻邑に当麻蹴速という手で角をへし折るほどの持ち主がおり、常日頃から自分と互角に力比べできる者がいれば戦いたいものだ、と豪語していた

そこで、垂仁天皇が「どこかに当麻蹴速と互角に戦えるものはいないか?と尋ねると

出雲の国の野見宿禰を呼び寄せ、穴師坐兵主神社境内地で垂仁天皇7年7月7日、2人が対戦、日本初の天覧相撲として行われた場所です

勝者であり相撲の始祖とされる野見宿禰を顕彰する石碑「勝者之聖」が建立され、「勝運向上」のスポットとなっている

令和2年初場所優勝の徳勝龍関の記念碑も建てられています

垂仁天皇の妃が亡くなった際、生きた人を埋める殉死を禁止していた垂仁天皇が野見宿禰に相談したところ、馬などの埴輪を作らせ、それを生きた人の代わりに埋めることを奏上した

垂仁天皇は非常に喜ばれ、土師臣(はじのおみ)の姓を与え、氏族である土師氏は代々天皇の葬儀を行うこととなった記されています

小生の先輩に当麻蹴速の子孫と名乗る方がいて、息子さんが九重部屋に入門したが、ケガに悩まされ引退している

纏向の語源:古事記と日本書紀は纒向で一致しているが文献によっては纏向が使われている。万葉集では混在するが巻向の方が多いように思う